うらみつらみ

 

1年前のじぶんのブログと今現在とでさほどいってることに違いがない。ずっと死んでほしいとおもっていた父親が本当に死んで認知症の母親に対して毎日早くしなねえかなあって思ってる。けっきょく、私は父親がすきだったので、無職でアル中で父親として機能不全だったけど父親に対してはどちらかというと恨みつらみはなくて、こうなる前にどうにかできたのにそれをしなかった母親に対して私は不快感をもっているらしい。言い訳といわれてもいいから機能不全な家庭で育てられた私がマシな子育てはできないとおもっているし、毎回なにいってんだこいつという母親の言動と同じことを甥っ子にしている自分にきづいた瞬間のしにたさを母は永遠に理解してくれない(ていうか頭がまともだったときにこの手の話を本人にしたけど面倒くさい子ねといわれただけでした)。

父親がしんだことでさいきんしったのだが、どうやら怒声が飛び交っている家庭環境で育った私の脳みそは人の怒鳴り声とかある程度の大声になると脳が言語として認知してくれないみたいで、先日どころかずっとまえから他人のある程度勢いのある発声になると何を言っているのかまったく理解できなくなることがあったのだけど、それはそういう発声しているから聞き取りにくいだけなのかと思っていたら、映画鑑賞中に隣の友人はそのセリフに対して笑っているのに、私はなにをいっているのかまったく理解できず、のちに字幕を見てあーそういってたのかと思った経験があるのだけど、なんかそういう積み重ねをしてきといて私に子どもを産め、結婚しろっていってくる母親ってどんだけハッピー野郎なんだろうって。はやくしんでって。なっちゃうって。

 

なんかさあとこれもさいきんきづいたんだけど母親とスプーンとか箸をシェアできないんだけど、これもあれかな嫌悪感なのかな。汚いっておもっちゃう。